最近気になっているのが、ニコ生配信やYou Tubeなどで配信者が食事をするときに、ちょっとでも持ち方が悪いと、必ずと言っていいほど箸の持ち方にうるさいコメントが複数流れていくること。
僕自身は食事動画を見るとき、他人と食事をするときは、その表情や食べ物中心に見ているので、持ち方など特に観察しない。僕は他人の箸の持ち方なんて全く気にもとめて見ていないが、どうも毎回丁寧に持ち方をチェックしている人がいて、ちょっとでも正しくないと注意するコメントが次々と流れ、それが目に入ってしまう。
自分の子供が他人の前でやっていたのならまだしも、赤の他人の持ち方まで逐一チェックし、相手がなおすまで何十分もしつこくコメントするのはどうなんだろうと思い、記事を書きました。
箸文化は聖徳太子から、持ち方は何時代から?
箸文化をたどれま聖徳太子の時代まで遡るが、現代の正しい箸の持ち方が決まったのはどうも江戸時代らしい。現在、その持ち方は食事作法として確立されたものであるが、持ち方そのものは使いやすいフォームとなっていて、幼少期にそれを習えば、我流で最適化するよりも、短期間で効率よく箸が使いこなせるようになる。
昔は食事作法が、器を並べる位置、箸の持ち方や茶碗の持ち方、食べる順番など、やたら厳しかった気がする。近年はあまりがんじがらめではなく割とルーズにはなってきていると思う。
これを好ましくないと思う人は一定割合存在する。
ちなみに僕は父親が昔気質でやたらと作法に神経質で箸の持ち方どころか左利きまで右に矯正されてしまった。現在は左持ちを復活させて習慣化してしまったため、結果的に右も左も使えるようになった。ただし僕の場合は左は若干持ち方が正規とは異なる。
記事を書いたあとに、右も後日よく見たら左と同じ持ち方だった(昔は正規の持ち方だったんだけどなあw)。今は一本は中指先の腹、もう一本は薬指の腹に乗せて、親指で抑え込んでいる感じ。中指は挟まない。
僕が正しい持ち方をあらためてやったが、精密な動きや特定の角度がやりにくいし強い力が入りにくい。慣れの問題もあるかもしれないが最適な持ち方であるのか疑問が残る。
客観的な思考をすれば、手の指の長さの比率や手のひらの形状は個人差も有り、持ちやすさは人によって異なると思うので、持ち方は「これじゃないとダメだ!」ではなく、何種類かあってもいいのではないかと思う。
箸の持ち方を巡っていつも配信が荒れる
ライブ配信などで食事する場面があると必ずといって湧くのが「箸の持ち方」を指摘するコメント。
ライブ配信でこれが湧き始めると、例えば20分食事するとすれば20分間ずっとそのコメントが連投され、持ち方指摘コメで配信が荒らされ、そっちの議論で視聴者同士が喧嘩したり、配信者と視聴者が言い合ったり、スルーしてもコメントがしつこく連投され、結局配信が荒れ始め、本来の配信が成り立たなくなる。
たいていどの配信を見ていてもそういう傾向。
箸ではないが、昔の手首の内側の大怪我(配信カメラからは隠れて見えないが)の影響で手が大雑把にしか動かせず仕方なくスプーンが鷲掴みになっているYouTuber(本人がそう言っていた)に対しても厳しい口調で持ち方を指摘するコメントが溢れたこともあった。
個人的にはどーでもいい事と思う
あまりに目立つ場合は多少の指摘は意見としていいと思うが、問題はその程度である。
最初に箸の持ち方の映像が見えたときに一言指摘があるならまだわかるが、一度コメントが流れ始め、配信者が直さないと気がすまないのか、そのコメントが最後まで延々と続く。こうなるとただの嫌がらせや荒らし行為でしかない。高い確率でそうなる。
人が集まる厳正な行事の場ならともかく、ただの自宅での食配信など個人アカウント内で配信しているもの。持ち方が目障りで嫌なら見なければいいだけである。箸の持ち方は別に迷惑配信と言うわけでもないのに、いちいちそれを食べている間中、延々と「箸の持ち方が・・・」とコメントし続ける人たちは何がしたいのかと感じる。
自分の子供が他人の前でおかしな箸の使い方をしているのならともかく、他人の持ち方にいちいち口を出すのはどうかと思う。頭の中で「この人持ち方が間違っているな」と思っていればいいだけである。
周りに迷惑をかけるような危険な交通違反の車載配信などとは違い、法に違反しているわけではない。箸の持ち方なんてだれにも迷惑をかけないしだれも傷つけないもの。こんなものは自分がしっかりしていればいいだけであって、赤の他人の枠を派手に荒らしてまでしつこく強制させるものではない。
それこそモラルに欠けた行為で育ちが出ていると思う。
誰かが暴力を振るったとかならまだしも、こんなつまらないことで争いが起きること自体、不毛の争いで、ほんと馬鹿げている。