嫌いな食べものというのは誰にでもあります。
「俺は嫌いな食べ物は一つもない!」と豪語する人は世の中によくいますが、それは自分が育った環境下で出てきた食べ物での話であったり、自分の好みばかりを食卓に並べているだけであったり、若干話を盛っている人が殆どで、きちんと白状すれば嫌いな食べ物は必ずあります。
好き嫌いが一切ないと豪語する人でもチーズの匂いが大嫌いだったりする。誰でも好き嫌いはあるんです。
そういう私も嫌いな食べものは多くありましたし、今もあります。しかしそれで何も問題はありません。嫌いなものを無理して食べさせたり克服させる必要はないことを書いていきます。
注※好きなお菓子ばかり食べていいというような、偏食を勧める記事ではありません。食のバランスが取れていれば特定の食べ物を無理に克服する必要はないという記事です。
嫌いな食べ物がない人なんていない
広い意味で言うと、世の中にはいろいろな食べ物があり、昆虫やムカデ、さらには世界一臭いと言われるシュールストレミングという物まであります。これら世界全文化の食べ物で嫌いなものが何一つないなんていう人は聞いたことがありません。
昆虫系や異国の文化は抜きだ!という理論にしたとしても、日本にいて日本で一般的に出る食事で嫌いなものが何一つない人はいないでしょう。
よくあるものとしては、レバー、チーズ、らっきょ、ゴーヤ、セロリ、しいたけ、グリーンピース、シソの葉、パセリ、ナス、柑橘類など。特にレバーは給食で出てきたときにほとんどの人が無理と言っていた記憶があります。
ちなみに私の父親は好き嫌いに関してやたらうるさくて「俺は嫌いなものは一切ないぞ!」と豪語していましたが、結局は家庭内の食事では自分の嫌いなものが出ないようにしていただけで、チーズやセロリ、春菊、トマトスープなどは嫌いだったようです。野菜も実は嫌いでお薬と思って食べていたようです。
しかし「嫌いなものがある」と「偏食」は別物で、偏食になっていない限り、健康上問題は出ません。
私も嫌いな食べ物は多い
私の嫌いな料理
- ナス料理全般
- 昆布巻き
- ゴーヤ料理全般
- 塩分が強い紅鮭切身
- 抹茶アイス
ナスはビチャッとした感じが腐った野菜のように感じ、本能的な拒否反応を起こしている感じ。昆布巻きは昆布はそこまで嫌いとはいえないが、昆布巻きは完全に無理。ゴーヤは説明できないが本能的に無理です。塩鮭は塩分がきついと完全に無理ですが、生の刺し身は大好物です。抹茶も嫌いではないが、アイスクリームと組み合わせると無理。
食べられないことはないが、骨がついたままの魚の煮付けや焼き魚もあまり好きではありません。骨が喉に刺さったことが何度かあり危険を感じるからです。また小魚であってもその細い小骨が歯と歯茎の間や奥歯の歯の間に刺さって取れなくなり、歯周炎を起こしたことがあります。なのでなるだけ食べません。
ただし魚の身だけを切り取った刺し身などは大好きです。
私の嫌いな食材
- ナス
- らっきょ
- ゴーヤ
- シイタケ
らっきょは匂いが全く受け付けなくて匂いだけで吐き気が本当に来るレベル。シイタケはゴムみたいな食感で食べ物という感じがしない、あとあの匂いが無理。
嫌いな人が多いが私は好きな食べ物
- レバー
- チーズ全般
- にんにく
レバーは生では食べないが、鶏レバーの甘辛煮は大好物。チーズは生まれつき大好き。本場の強烈な香りがするナチュラルチーズの発酵した香りが大好き。にんにくは匂いも全く気にならないし焼いて食べても好き。
刺し身も生牡蠣も全然OK。基本的に生で食べるのが好き。私は生魚の匂いが好きというのも他の人とは違う点。
子は親の好みの食事を食べさせられる
幼少期の家庭の食事というのは親の好みが強く反映されます。学校給食のように偏りがなくバランスよく食事が出ている家庭のほうが珍しいでしょう。
親というのは教育の建前上、子に対し好き嫌いをなくすように言うが、その家庭の食事というのは結局親の好みばかりが並ぶ傾向が強いです。煮魚が好きでカレーライスが嫌いな親の場合、家庭の食事は煮魚中心で、カレーライスは出ません。子供が魚が嫌いだった場合は悲惨です。毎日のように嫌いな魚が出るわけです。
魚が嫌いな理由は魚の肉そのものではなく、骨が刺さったり、むしったりするわずらわしさであることが多い。つまりそういう場合は嫌いな料理法ではなく、刺身やフライなど食べやすいものにして調理すればよいのです。
我慢して食べても苦しいだけ
私自身、嫌いな食べ物はわりとありますがそれで困ったことはないです。栄養面では代わりの食べ物がいくらでもあるからです。大切なのは栄養バランスが取れていればいいということです。
小さい頃、シイタケやナスなど嫌いなものが出ると「食べなさい」と言われ、食事を終わることが出来ず、散々煽られた挙げ句、時間切れで結局食べられなかった。そのシイタケやナスは今でもほとんど食べられません。体が受け付けないものは受け付けないんです。これは理屈じゃありません。
例えば子供がピーマン嫌いとします。ピーマンだけが嫌いな程度なら、他にいくらでも変わりの栄養を持った食材はありますし、無理して克服するメリットはあまりないといえます。
ちなみに私もピーマンは小さい頃嫌いでしたが、大人になって唐辛子やシシトウが大好きとなり、よく見るとピーマンもその仲間ではないかと考え(トウガラシ属で同じでした)、好んで食べるようになりました。
あれもこれも嫌いとなって甘いものばかりを好んで食べたり偏った食事になれば別ですが、数多くある料理や食材の中でたった数品目だけが無理である程度なら、無理して食べなくても全く問題がないと私は考えます。
むしろ生理的に受け付けない食べ物を無理に克服することは精神的にとても苦痛を伴うもので、場合によっては嘔吐するでしょう。
例えば人間は茹でて柔らかくなった野菜を本能的に腐った野菜と判断して体が受け付けなかったり(ナスの煮物や温野菜など)、苦いものは毒と判断(毒は苦いものが多い)して受け付けない傾向が出ることはあります。これは正常です。
これらを食べれば体の拒絶反応で飲み込んだあとに吐き出すことはあるかもしれません。ここまでして食べる必要は全くありません。。
ときには好き嫌いが役に立つこともあります。
例えば集団食中毒があると、その原因となった料理が嫌いな人がいてそれを食べなければその人は食中毒を起こしません。しかし皆が嫌いなものを克服してしまうと全員同じものを食べてしまうことになり、より被害が広がります。
皆が皆同じ同じものを食べることは、ある面リスキーだということです。人によって食べ物の好みや好き嫌いが分かれることは、何かあったときに何らかの遺伝子が生き残るといった種の保存としての大切な要素です。こういった要素は遺伝的多様性として存在するものだと考えています。
好き嫌いと言っても、世の中には多くの料理や食材があり、その中で工夫して栄養のバランスを取っていけば何も問題はなありません。
もちろん好き嫌いは遺伝的要素だけでなく幼少期の食習慣や経験も影響します。なんでも食べられるという人は、食糧難になったときでも限られたものを食べることが出来るといういい側面もありますが、集団食中毒に関しては不利な側面もあります。
ただ、本人の意思に反して無理して嫌いなものを強制的に克服させることは、重いストレスというマイナスの側面しかないでしょう。私自身好き嫌いはあったが病気に強い頑丈な体に成長しました。
好き嫌いと偏食は違います。好き嫌いがあっても偏食というわけではありません。嫌いな食べ物を別のものに置き換えてバランスを取れば全く問題がないのです。
食べないとフードロス?
嫌いなものを食卓に並べた時、それを食べないとフードロスになります。
なら最初から嫌いなものは作らなければいいし、買わなければいいだけです。自分が食べられる食材や料理で栄養バランスを考えていけばいいだけです。
しかし学校給食となると話は変わります。給食でどうしても食べられない嫌いなものがあれば友人とトレードすればフードロスにはなりません。ちなみに学校給食の残さは家畜の飼料となります。ですが全てというわけではありません。
給食メニューは子どもたちの多くが嫌いな食材や料理(例えば鉄目的でレバーなど)をわざわざメニューに入れる意味なんてありませんので、その栄養素の代わりとなる食材を使った食べやすいメニューに切り替えるのが理想だと思います。