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ネット依存?いや、今はネットに依存して生きている時代

2021年2月21日の朝日新聞の記事でネット依存について医療関係者の取材を元に、コロナ自粛でいかに悪化しているかという事が書いてありました。

見出しは「ネット依存なんちゃら」ですが、中身は子どもたちのゲーム依存症やSNS依存症の内容。

昨年6月にも日経新聞の記事で同様の物がありました。自粛でネット依存が増えているので脱却をというもので、子どもたちがゲームなどへ没頭する依存症問題の内容。

また世界的にも「 Internet addiction disorder (IAD)」という「インターネット依存症」が問題となっています。

インターネット依存症

ネットとは縁が遠い時代から育ってきた人たちが見れば、ネットへ没頭する姿は傍から見れば異常な姿かもしれません。

インターネット依存症というのはインターネットに没頭するあまり生活に悪影響が出てしまった人たちのことです。

それはオンラインゲーム(ネットゲーム・ネトゲ)依存症であり、オンラインギャンブル依存症、コミュニケーション依存症、ビデオストリーミング依存症など分別されます。

これらは生活に悪影響を及ぼしている点が問題となっているのです。

コミュニケーション依存症については、SNSなどでの意思疎通に夢中になった人たちで、リアル友人よりネット友人が多いことを指摘されているようです。

人と直接会話せずにひたすらスマホをいじって活字でやりとりしている様子は旗から見れば異常かもしれません。

現代はネットに依存した社会

インターネット依存症が問題とされる一方で現在はネット社会です。

ネットで仕事をし、ネットで買物をして、ネットで日記を書いたりチャットしたり、ネットでニュースを見たりゲームをする。朝から晩まですべてがネットという人は多くいます。

しかしこれは病気ではありません。

これは生活様式の変化です。人間は進化する道具を使いこなして何百万年と生きてきました。

それはいつの時代でも古い伝統的な生活スタイルをしてきた世代にとって、新しい様式は馴染めず常に否定されてきました。言葉の変化も同じことが言えるでしょう。

ネットそのものは害ではない、むしろ有益

ネットは現代のテクノロジー。

ネットはテレビ・新聞・固定電話に置き換わったものでもある、いやそれを超えた存在であると私は信じています。最近はスマホの音声通話さえも衰退化しています。もう時代はネットが支配しています。

高齢者がテレビ・新聞・固定電話に依存しているように、若い世代はネットに依存して生きています。

彼らがテレビや新聞を見るような感覚で、若い世代はスマホなどを開くのです。むしろネットがないと不便な時代。買い物やサービス、イベントの応募など何もかもネット絡みです。

ネットは生きていくために必要なものでこれからはどんどんそうなります。生活全体がネットに傾くのは仕方のないことで、これが時代の移り変わりです。

例えば電車内で新聞を広げたり本を読んだりしていた人が多かった時代、それは現代ではスマホに置き換わりました。どちらも似たようなものです。

もちろん座席に座っている乗客すべてがスマホをいじっていると、これは傍から見ると異常な光景かもしれません。

ネット依存症という全体的なくくりで言うが

オンラインゲーム(ネットゲーム)依存症やSNS依存症、オンラインギャンブル依存症はインターネットを手段とした依存症です。ネットが原因ではありません、手段です。

それはテレビ依存症やファミコン依存症、パチンコ依存症でも同じ。

ゲームやギャンブルはネットがない時代からある依存症です。それがその手段をネットの舞台に変えてきただけです。ネットが原因で起こるネット特有の現象ではないです。

ネットはゲームやギャンブル依存症の手段でもあるが、現代人の生活の手段でもあるため、ネット依存症という大きな括りにするのは間違いです。

もちろん夜中から朝方までゲームやSNSをやり続けたりテレビを深夜遅くまで見て、それが翌日の学校や仕事に影響すればそれは悪影響です。

しかし、ネットで仕事をして、ネットで買い物をして、そしてネットで遊ぶ。こういう流れで1日中ネットに浸っている生活スタイルの場合、これは問題ありません。これは生活の手段です。

ネットを長時間やることは必ずしも依存症ではないということです。

依存と依存症は違う

ネット依存とネット依存症は分けて考えるべきです。ネットに依存した生活様式(生活に好影響)と、依存症となってネットが生活の悪影響となっているものは別物です。

依存の意味を依存症と一緒くたに表現する場面はあらゆる媒体で多々見られます。

ですが、依存」は国語的な意味合いでは何かに頼るという意味です。

対して「依存症」は、生活に悪影響が出てしまうほど依存してしまう病気です。

つまり依存症は病気であるが、依存=病気とは限らない。

「ネット依存」という表現を用いると、ネットに依存する(依存して生活する)ことは医学的な病気の一つであるというイメージを作ってしまいます。

こどものネットは時間制限するべきなのか

ゲームをしすぎて、SNSに夢中になりすぎて、依存症・・・。

ネットゲーム依存症は、それはネットゲームに限らずテレビゲーム時代でも学生がゲームに夢中になりすぎて勉強の成績が落ちるという社会問題が事はありました。

つまりこれはネット特有の現象ではありません。例えば香川県条例で問題になっている要素はそのガチャ課金であり、ガチャ依存症。これをネットが原因であるかのようにネット依存症と言うには無茶があります。

もちろんゲームやSNSをやりすぎることが学校の成績に悪い方へ影響するならば、進学や就職へ悪い影響が出るなら解決しないといけません。

ただしそれらをやめさせたからと言って、空いた時間が勉強に変わるわけではありません。大抵は別の時間つぶしをするようになります。

スマホも使いようによっては勉強にも有益であり、調べ物をしながら勉強する方法もあります。スマホやパソコンを使いこなすことで勉強効率を上げることが可能です。社会人でもスマホやパソコンをいかに使いこなせるかは仕事でも大切な能力の一つです。

そもそも学校で勉強、塾で勉強をしっかりしていれば、自宅にいる間まで勉強する必要はなならずしもないと思います。これでトップになることは厳しいですが、十分な成績は可能です。

学校で勉強、塾で勉強、自宅でも勉強だと毎日が楽しくないですし鬱になりますよ。こっちの病気ほうが怖いですし、卒業後に反動が出ます。

受験前は別として、普段はしっかり学校で朝から夕方まで勉強すれば、自宅では好きなように遊んでいいのではないでしょうか?そうやって生活のモチベーションが維持できます。

もちろん夜ふかししすぎると翌日の学校で居眠りしてしまいますのでそこは注意しないといけません。

ネットはバーチャルではありません

インターネットを仮想と表現し、ネットの外を現実(リアル)という言い方がされることがあります。しかしネットはバーチャル世界(仮想世界)ではありません。

ネットのニュースは現実のニュースです。ネットの買い物は仮想ではなく現実の買い物です。

ネットで会話する人は実在する生身の人間です。

ここで行われるのはAIを相手にした仮想の会話ではなく、人間を相手にした現実の会話です。そこにはルールが有りエチケット・マナーが存在し、好き勝手に出来るわけではありません。

オンラインゲーム(ネットゲーム)はバーチャル世界で行うゲームですが、そこでもチャットをする相手は現実にいる人間です。こちらも当然ルールがあり、他人へ迷惑をかけるような発言はできません。

インターネット依存症はコミュニケーション能力の低下などが言われますが、そうでしょうか?

例えば人と会って話すことが苦手な人にとって、ネットは会話がしやすく心の拠り所となっています。これは活字のやりとりだけでなく動画配信でも同じです。コミュニケーションを求めて生動画配信を始めた人はかなり多いです。

これはプラスに働きますし、毎日の生活のモチベーションを保つために重要な要素です。

また一人暮らしをする人にとってもネットでのコミュニケーションは心の居場所です。

日常生活でのコミュニケーションが、オンラインでのコミュニケーションに偏って何か問題がありますでしょうか?いいえありません。サービスを提供する運営のルールを守っていれば全く問題はないです。

むしろ全国・世界中の実在する人と即座にコミュニケーションをとることが出来る画期的なものです。

インターネットでのコミュニケーションは心を豊かにします。

私がいいたいこと

結局ここでいいたかったのは、オンラインゲーム依存症やオンラインギャンブル依存症は問題であるが、それはそれぞれ個別の問題であり、インターネットが誘発する問題ではない。ネットは依存症の原因ではなく手段。

つまり私はこれをいいたかったのです。

ネットでは何でも出来る。それは生活の手段でもあり、ゲームやギャンブル依存症の手段でもある。

ネットは現代の生活に欠かせない存在となりつつあり、オンライン授業やテレワーク、オンラインしィッピングなどインターネットに依存した生活をすること自体は問題ではないということ。

これはマスメディアやその他機関でもわかっていると思います。しかしネット依存が・・・ネット依存が・・・という表現では、ネットが人を駄目にする、ネットは害である、ネットを排除するべきだというイメージに繋がりかねない。

ただ、そこまで四六時中スマホをいじっていないといけないのか?一秒でも手放したら酸欠になって死んでしまうのか?と思えるような、まるで二宮金次郎の銅像か?と思えるような状態の人は多く見られます。

例えばバス電車乗り換えで歩く僅かな距離でもどんな場所でも肌身離さずスマホいじり。こういうレベルになると、それは歩きスマホやながら運転という現象であり非常に危険です。

ながら運転は道路交通法で禁止されていますが、歩きスマホは転落事故など多発しているにも関わらず法律による規制がありません。この法整備はすすめるべきだと思います。

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