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ら抜き言葉は日本語の乱れ?そろそろ認めるべき変化?

「ら抜き言葉」は若者の日本語の乱れとしてマスコミなどで取り上げられることがしばしばあります。

世間一般の年配者層にとって「ら抜き言葉」は、「若者言葉」「乱れた日本語」というよくないイメージの傾向が強いと思います。

しかし文化庁はこれを頭ごなしに否定する感じではなく冷静に判断しているようです。

文化庁の判断

文化庁では「ら抜き言葉」について、改まった場での使用は現時点では認知しかねるとしています。

ここでは「ら抜き言葉」は合理性がある言葉の変化なので話し言葉として認めていいのではないかという声もあることを紹介。地域によっては従来から「ら抜き言葉」が使われてきたことなどが書かれています。

現時点では認知しかねる、今後の動向も見守っていく必要がある、ということで、文化庁でもある程度は認めている感じではないでしょうか?

一時的なブームではない

ら抜き言葉は、「ナウい」のような単なる一時的なブームではありません。

文化庁によれば、“話し言葉の世界では昭和初期から現れ,戦後更に増加したもの” ということらしい。

平成以降マスコミなどの間でまるで社会問題かのように取り扱われてきた感じがあるが、実は結構昔から使われていたようです。

その後さんざん若者中心の乱れた日本語として言われてきた感じはありますが、一時的な流行語として終わることなく現在でも多くの人の間で使われ続け、その割合も増え続けています。

人は変化を受け入れたがらない

心理的なものとして、人は変化を嫌うというものがあると思います。

人は自分が生まれ育って長く親しんできた習慣や文化などの環境が変わることを受け入れにくく、新しいものを拒否・否定しやすい傾向があると思います。

言葉の変化は、新しい言葉を一部の人が使い始め、まるで転校生がその土地の方言に無意識に染まるように広がっていきます。このとき柔軟性に長けた若者中心に受け入れていくのではないでしょうか?

それが次の世代へと引き継がれると、新しい言葉を使う人は若い世代中心にどんどん増えます。

しかしある程度歳をとっているともう新しい変化を受け入れることは難しい。

それまでの言葉を使ってきた年配者層は、自分たちが子供の頃から何十年も親しんで学んできた言葉が定着していて、若者中心に新しく使われ始めた文法は不純物であり「言葉の乱れ」と感じるのは、人の持つ感覚として自然な反応かもしれません。

ただ、今現在の正しい日本語というのも、現在の年配者よりもさらに昔の人から見ると乱れた日本語であったわけです。いつの時代でもなんらかの「言葉のゆれ」は存在し、年配層から「今の言葉は乱れている」と言われていたと思います。

時代はその繰り返しです。

多くの人が使うようになった

「ら抜き言葉」の話題は私が知っている記憶だと1990年代からテレビニュースなどでちょこちょこ取り上げられいたような気がします。

現在すでに「ら抜き言葉」はかなり浸透しており、文化庁の2016年の全国男女16歳以上を対象に行なった調査によれば「ら抜き言葉」を使う人は半数を超えるという結果が出ています。

今後はおそらくもっと増えると思います。

これはもう時代の変化ではないでしょうか。

また、「すごく綺麗」を「すごい綺麗」、「すごく疲れた」を「すごい疲れた」というような形容詞の連用修飾に関しても変化も最近はかなり多くの人が後者を使うようになったと思います。

その他に、「事故る」「パニクる」「テンパる」「愚痴る」「ダブる」などもあります。これらの一部は文化庁では乱れた言葉ではないと判断しています。

また、年齢層関係なく多くの人が使用している「さぼる」という言葉も、実は「サボタージュ」からきたサボが動詞化したもので、前述したものと同じ。

「サボる」は大正時代から使われてきたものでつまり現在生きている人のほとんどが子供の頃から使ってきた言葉。これについて乱れた日本語という声は世間一般でも全く聞かない。

言葉というものはなにかの語源があり、例えば「サバ読み」は、魚である鯖の尾数をごまかしていたことが語源。この言葉も使われ始めた当初は年配層から何かしら言われていたのではないでしょうか?

認められるのは時間の問題でしょう

言葉は徐々に変化していくもの。

昔こそが正しいというのは違う。

正しい言葉というのは時代で変わる。

その言葉をどう感じるかは世代によって違う。

一時的なブームではなく、変化として入れ替わって定着するといつかそれを受け入れないといけない。

それをどの段階で認めるか、そのタイミングは難しいと思います。

ら抜き言葉は、きちんと合理性があり、一部の地域では昔から使用されていたということで、文化庁も慎重になっていて今後の動向を見ていくらしい。

言葉は意志を相手に伝えるためのもの。

そう考えると、合理性のある「ら抜き言葉」は話し言葉としてはどんどん使っても恥ずかしいことではないと私は思います。

ただ現段階では、イベント時の挨拶や面接などのかしこまったような場では使うのは控えたほうがいいかもしれません。

しかしこれも時間の問題で将来的には正式な文法として完全に認められるときが来ると思います。

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