最近は反抗期がない子供が増えているそうです。案の定、それを問題視する専門家がいました。これは主観的な見方だと思います。若者へ訪れる変化は、いつの時代も悪く悲観的に言われてきた歴史があります。
その規則性でいくと日本はどんどん悪くなることになるが、実際そうなってはいません。
反抗期は子供が攻撃的な性質に変化したわけではありません。特待の人との人間関係で攻撃的に変化しても、それ以外の対象には今までと変わっておらず、生まれ持った本質は変わっていません。
反抗期があっても、反抗期がなくても、それは子供の将来には大した問題ではありません。どっちが良い悪いなんてものはない。生まれ持った性格や家庭環境で反抗期の出方は異なっても、ほぼ遺伝子の設計図通りに成長します。どのように育つかはほぼ遺伝子で決まると僕は考えます。
反抗期の研究はまだ未完成であり、そのプロセスなどは研究者や心理学者でも大きく意見が分かれることがあります。
反抗期は幼児期と思春期の2回来るといわれていますが、この記事では2回目である第二反抗期を取り上げます。
反抗期とは
反抗期とは簡単に言えば「親や学校の先生などの指示に対して反抗的な態度をとる時期」のこと。
反抗期は幼児期と思春期の2回来るといわれ、世間一般では思春期の第二反抗期のイメージが大きいです。英語圏では反抗期は Teenage rebellion と言われ、日本で言う第二反抗期のことを指します。
反抗期は子供の自立の変化であり、親などへの不満やストレス、矛盾から反抗した態度に出ると言われています。
反抗期があったから、なかったから、だから良い人間になる、ダメな人間になる・・・と分析されることがよくありますが僕はその考え方は間違っていると思っています。
反抗期の例
反抗期の一般的に多い例は次のようなものがあります。
- 勉強しないから注意すると反抗される
- 部屋を片付けろというと反抗される
- ずっとスマホしているから注意すると反抗される
- 帰宅が遅いから注意すると反抗される
- 親の矛盾や間違った行動を指摘し、喧嘩になる
- 親に対する態度や言葉遣いを注意すると反抗される
反抗の表現は、「うるせえ!」「だまれ!」など攻撃的に噛みついて来たり、無視したり、色々あります。共通することは「親の行動・方針・命令に意見や反抗をする」ということです。
どちらが正しいか、悪いか、は関係ありません。思春期に強くなる親への反抗が反抗期です。時には親が間違っていることもあります。だから、親に反抗した=子供が悪いとは限りません。
(例)父親が家でタバコを吸うのが迷惑なのでやめて欲しいというと、ここは俺の家だ!と逆ギレされ、意見が衝突して口喧嘩になる。またタバコが迷惑なので、親が吸い始めて換気扇を回すと「俺へのあてつけか!」とキレられ、そこから口喧嘩が始まる。
子供が親をどう感じているか
親から見れば、親に口答えする生意気な子供、指示に従わないキレやすい子どもに見えるかもしれません。しかし学校では友人と仲良く趣味や勉強の会話をし、穏やかで仲がいいなんてよくあります。つまり友人とは信頼関係が築かれているのです。子供がキレやすくなったわけではありません。
子供から見ると親から仕掛けてきていると思われています。
「どうでもいいことでいちいちガミガミうるさく絡んでくる親にイライラする」「なんでこうもいちいち絡んでくるのか!」「もうこの歳になったら自分で考えて行動したいのにいつまでも子供扱いして何もかも束縛して鬱陶しい!」という感じでしょう。
それは例えば夕飯後に勉強する予定だったのに、夕飯中に「食事終わったら勉強しなさい!」、親戚が来た時、嬉しくて挨拶しに行こうとしたら、親が「ほら!こっち来てちゃんと挨拶しなさい!」という。これが小学生の時ならまだしも、中学生以降にもなれば、子供はこう感じる。
「そんなコトわかっとるわ!流石にもういつまでも小さな子供みたいな扱いしないでくれ!」
「小さい子供を扱うように何から何までいちいち絡んでこないで!自分で行動したい!」
「毎日が否定ばかり!流石に毎日毎日続くとノイローゼになってしまう!」
「なんできちんとやっているのに出来ない子供みたいにいつまでも言うのか!」
これらのストレスが積もりに積もってくると、些細な事でキレたり、また心理的リアクタンス(言われたことと逆のことがしたくなる)で、「じゃあやめた!もうやらない!頭きたわ!」という行動に出ることもあるかもしれない。
ただ、これは思春期に限ったことではなく、思春期以降でも同様にしつこく絡んでくれば同じ状況になる可能性があります。
これを反抗期と捉えるかは疑問があります。成人後も同じような行動を取られると同様に嫌がる可能性は強い。反抗はしても、永続的な傾向であれば反抗期ではない。この場合の原因は環境にある。
根本的な問題
反抗期=悪いというわけではないが、時には大喧嘩になったり、ものが破壊されたり、怪我をしたり、家庭が崩壊するレベルまで荒れることがあります。
大荒れする根本的な原因は、親が子離れできずに赤ん坊のように何もかも束縛しようとし、信頼関係が薄まっているにも関わらず、些細な事でも一歩も引かずにそれをゴリ押ししようとすること。
子供は成長するにつれ、自分で考えて行動するようになり、行動範囲も広がり、より自由に何でも行えるようになります。
しかし親は門限をいつまでも小学生並みに早く設けたり、あれはするなこれはするな、いつまでも何もかも小学生の時と変わらないようなしがらみで束縛する。
「もう自分で動けるのにいつまでも檻の中に繋がないでくれ!僕は自由に羽ばたきたいんだ!」という訴えかもしれません。子猫が成長し、巣から離れようとするのに首元を加えて強引に引き戻す親猫なんているだろうか。やはり束縛は歳相応にゆるくし、自己判断で行動できる幅を徐々に広げていく必要性があると思う。
また反抗期の強い家庭は、子供と会話するのは注意するときだけというパターンが多い気がします。関係が希薄で趣味の話などで交流することが殆どありません。反抗期はあまり悪化すると、おとなになってからの親子関係にも影響することがあります。
人間的な本質は家庭環境では早々変わらないが、親子の関係があまりに悪いと、その関係は悪化したまま一生戻らなくなる可能性があるということです。
反抗期が来ない子供が悪く言われるが
反抗期がない子供が近年増えていることについて、「自立ができなくなる」「ワガママになる」「自己主張できなくなる」などと問題視されることがありますが、僕は違うと思います。
反抗期が子供の成長過程で自立の時期を迎えた本能的な変化であると言われることがあります。ただ、この本能的な意味での自立とは自分で考えて行動するという意味であり、一人暮らしをするという意味とは違います。原始時代までさかのぼっても人間は常に集団を作って群れで生活をしており、ひとり暮らしをしてきた歴史はありません。一人暮らしは現代人特有の生活文化です。
自己主張とは自分の考えを主張するという意味であり、反抗して喧嘩することではありません。大した問題ではないなら、自分が引き、対立を避けることは別に悪いことではありません。つまらないことでいちいち大喧嘩するほど無駄なことはありません。先に引いたほうが大人です。些細な事でいちいちイライラしてもキリがありません。
体の異変で病院に行くいかないで揉めたり、災害時の避難でモタモタしていたり、命にかかわる場合など絶対に引いてはいけないときだけガツンと主張すればそれでいいです。
厳しすぎて逆らえない親だと自己主張できなくなって・・・と言われることもありますが、これも違うと思います。そもそもそういう親に対しては考えを主張出来なくても、自分より弱い人間に対して(弟や妹などへ)は主張ができる場合は多いです。
学校で怒鳴る先生に対しては皆大人しく統制されても、怒鳴らない先生が来れば騒ぎはじめます。怖い上司の過ちを指摘出来なくても、同僚や部下の過ちは指摘が出来ます。つまり自己主張の本質が変わっているのではありません。
甘やかされるとワガママで自立できなくなるも違うと思います。それは結局先天的なものが影響します。先天的にワガママな性格の子供はどう教育されてもやはりワガママになります。先天的に素直な子供は甘やかしても素直な大人になります。
自分で考える能力というのも遺伝子です。そもそも日本人はこの能力が欧米より低く、周囲の視線や評価を気にし、自分がやりたいことがなかなか出来ません。日本人は周囲に合わせた行動をとります。多い集団の方に合わせます。髪型や服装、趣味など全般に言えます。集団に合わせたほうがリスクが少ないという群れの習性で本能的なものだと思います。
どういう人間に成長するかはほぼ遺伝子の設計図で決まっています。両親どちらかの遺伝という意味ではなく、遺伝子の設計図に書かれたとおりに成長するということです。つまりこの遺伝子とは遺伝性というよりも先天性という意味。
一卵性双生児は非常に瓜二つの遺伝子を持つが、遺伝子が完全一致するわけではないことが分かっています。
一卵性双生児の神経質な性格が一致する割合は5割程度という研究がありますが、これは生まれつきの影響が5割と解釈しないようにしなければなりません。なぜならその研究では同じ家庭で育てられた場合と別々の家庭で育てられた場合でほとんど差がありません。つまりほぼ先天的なもの(双子で遺伝子が僅かに異なっているのが理由)と見ることが出来ます。
一卵性双生児が同じ家庭で育った例、逆に一卵性双生児が生き別れ、遠く離れた別々の環境の違う家庭で育ち、十数年から数十年後に再会したという例がいくつかありますが、ミネソタの研究を見ても趣味や癖まで極めてよく似ていることが分かっています。
また兄弟で同じように育ててもまるっきり異なる性格や性質になることはよくあります。劣悪な環境でも立派な大人になった例は多数ありますし、きちんとした教育環境でもダメな人間になった例も多数あります。
性格など人間の本質の要因
先天的要因>後天的要因
特定人物に対しての反抗・攻撃的態度
後天的要因>先天的要因
ヒトの性格などの本質は先天的(生まれつき)要素が強く、環境による変化は少なめです。先天的を遺伝的と混同しないようにしなければなりません。遺伝的は親からの遺伝ですが、先天的はバラツキや突然変異も含めた生まれつきのものです。つまり生まれつきではあるが親からの遺伝ではない場合もあります。
反抗期でも攻撃的になったわけではありません。親に対し攻撃的と感じても、信頼関係のある学校の友人にはとても優しいわけですよ。つまりそれは親との信頼関係が薄くなったということです。なので親は子供のことを悪く思わないことが大切です。
親は子供に対し、何があっても愛し続けるべきです。注意や教育は憎しみではありません、愛情です。反抗期のときに「お前なんか産まなければよかった。」「育て方を間違えた。」「お前なんてうちの子じゃない!」なんて決して言ってはいけません。注意をするときはあくまでもその内容の指導に限定するべきで、人格などを害するような発言は絶対にNGです。
最後に
反抗期があったってなくたって大した問題ではありません。
色々反抗期のサイトを見て回りましたが、すべての人が同じような人間へ育たないといけないかのような感じで書かれていました。これは日本らしいなとは思いましたが、僕の考えは、別に皆同じようなタイプの人間へ育たなくてもいいと思います。
自己主張が弱くたっていいじゃないですか!自己主張が強い弱いは良し悪しではありません。一歩も引かない人間と、一歩引いて相手に譲る人間がいるから世の中はバランスが取れているのです。協調性があったってなくったって、それが何だ。
反抗したくないのに無理に自分を変えて親に反抗し、反抗期を演じる必要なんてないし、無理やり変えたってそれは上辺だけでしかなく本質は同じ。周囲の評価など気にせず自分という個性を大切にし、人に迷惑の掛からない範囲で自分らしく生きたほうがいい。そうでなきゃ自分でなくなる。それが本当の自己主張。
反抗期がある、反抗期がない・・・
どれが正しいなんてないし同じ人間になる必要もないです。
すべての人がテンプレに当てはまるわけでもありません。
また人間は誰にも二面性があります。わがままな人も思いやりがある一面があり、優しい人も冷たい一面があり、協調性がある人でも協調性がない一面があります。それが外面性か内面性か。
また、短所は時によっては長所となることもあります。
言動を無理に作るのではなく、自然体で。自分という個性を大切に生るべきです。