なぜ今の時代に暴力を振りかざす人間がいるのか【電車暴行事件より考える】

1月23日に起きた電車内暴行事件。電車内で喫煙していた28歳の男を注意した高校生が暴行を受けて重症。

警視庁統計によれば日本では暴行事件が年間3万件、傷害事件が年間2万件以上発生しています。交通機関での暴行・傷害事件の全体に占める割合はそれほど高くはないが、人が多くいる列車内で堂々と暴行が行われたことは社会生活における脅威です。

喫煙禁止箇所で喫煙する男性を注意して、逆ギレした喫煙者から殴られる事件はよくあるが、喫煙者が攻撃的な傾向にあるのではなく 、攻撃的な人間に喫煙者が多い傾向があります。

なぜ何百万年もかけて知性的に進化した人が理性を失い、まるで進化から逆行したような野蛮で暴力的な行動に出るのでしょうか。人間がどれだけ知性的に進化しても暴力はなくならないのでしょうか?

※この記事は個人的な意見で書いています。

人間と暴力の歴史

暴力とは人間の長い歴史の中で長くつきまとってきた本能的な要素。男はいかに自分が強いか肉体的強さを誇示します。

肉体的強さというとスポーツの世界がありますが、スポーツのアスリートと違う点は、アスリートは自分より強い相手と戦って勝つことに意義を見出すが、暴力を振るう人は自分より弱い相手に手を出して力を誇示する。

人間の脳が進化し、知性、理性、文明が発達するにつれ、暴力の文化は薄くなり、近代の文明社会では暴力は完全に否定されます。

生命40億年の進化をたどってきた人間だが、暴力の本能的な名残は男性の成長期に顕著に現れていると感じます。多くは10代で反抗期となって現れ、成人する頃には良識のある人間へと成長するが、一定割合で成人以降も暴力(あるいは暴力的な威圧)で押し通そうとする人はいる。

これが動物においての遺伝子の多様性であると考えれば、人間の脳がどれだけ進化しても一定割合で発生するでしょう。

暴力は無抵抗あるいは自分より明らかに弱いものへ対して行われる事が多い。自分より体格が良くて強いものへ対してはその傾向を表しません。

例えば猿の世界は力の強いものが支配します。より強い遺伝子を残すための本能でしょう。

しかし脳が進化して知恵を獲得した人間は、生きていくために必要なのは力ではなく知恵であり、誰の血を流すことも無く安全に種を繁栄させることが出来ます。現代の人間社会において暴力による一方的な支配は、安定した秩序を乱す悪と分類されます。

電車内で喫煙を注意した高校生が暴行を受ける事件

2022年1月23日に、JR宇都宮線の電車内で優先席で寝転んでタバコを吸っていた28歳の男性を注意した高校生が暴行を受ける事件があった。

ルールを守れない28歳を、10歳以上も年下の高校生が注意するという、これほど恥ずかしいことはない場面。なんとも情けない時代になったのかという驚きと、こんな危険で短絡的な人間がいまだに存在するという驚き。

容疑者が戦意がない相手に対して一方的に蹴っていたのに「正当防衛だった」など意味不明な供述をしていたりして、いろんな点で一般社会人と大きくずれている。

すでに成人を過ぎた30近い大人なのに、やっていることは14歳15歳の不良の学生と変わらない。大変みっともない大人だということ。

人間社会にはあらゆる場所にルールがあり、ルールで秩序が保たれています。暴力はどんな場所でも厳禁であり厳しく罰せられる。このような身勝手な人間が許されることはなく、彼はこれから法の裁きを受け、社会の厳しさを味わうことになるでしょう。

精神的に追い詰められて起こした犯罪ではなく、身勝手な理由で暴行した事件。彼が更生のためのプログラムを受けて上辺だけは変わっても、人の本質というものは一生変わることはないでしょう。何かをきっかけにまた現れます。社会へ戻り、再び同様の場面になった場合、再犯する率は高いと思います。

こういった人間には社会的なペナルティと制限を与えるべきだと思っています。

例えば傷害罪・暴行罪の履歴がある粗暴な人間には運転免許証を交付しない。免許習得済みなら生涯取り消しにする。理由は粗暴な人間は煽り運転(妨害運転)の恐れがあり運転適性がないため。また、清掃活動など社会奉仕活動を義務化してほしいと思います。

社会から暴力をなくすことの難しさ

私が一番嫌いなのが、自分より弱い立場の人に対しては威圧したり暴力を振るい、自分より強い人へは180度態度を変えて服従してしまうような人間です。

人間は話し合いで相互的に理解して問題を解決する生き物であるが、実際世の中にはいまだ話し合うことで解決してくれない暴力的な人間は多数存在します。

生命誕生から40億年も進化し、生物上最も知能が進化した人間が社会のルールを守らず身勝手な理由から暴力で暴れるというのは悲しいことです。

ただ、暴力を起こす人でも完全な悪魔ではありません。身内や仲間内には優しい一面があります。身内には優しくて、赤の他人には牙をむくという習性はよくあるパターンです。なので一度仲良くなるとまともな人間性やいい一面も見えてくるわけで、その人間すべてを否定することは出来ません。

ですが社会のルールは社会のルール。人への暴力は犯罪であり許されません。骨折させたり死亡させたりというニュースもよくあります。

子供からお年寄りまで安心して生活できる秩序ある社会が理想です。肉体的な弱者が理不尽な理由で損を見る世の中であってはいけない。すべての人に平等な人権がある。これが人間社会のルールです。集団生活にはルールが必要でこれを守っていくことで人間は成り立っています。

身勝手に生きたいのならば無人島で一人だけで暮らしてほしいと思います。

しかしどのような社会環境にしようが、遺伝子には多様性があり、一定割合で粗暴な性質を持った人間は生まれてくるでしょう。

家庭や教育環境の影響は殆どないだろう

暴力をなくすための教育環境や社会環境を作ることは難しい問題です。遺伝子的に攻撃性の強い人間に対して、教育・生活環境がどれほど影響するのでしょうか。

暴力が英雄であるかのように描かれた不良マンガや映画も多く存在し、これらの影響があるのかどうか疑問に思う人も多いようです。これらは中高生の不良も好んで読む傾向はあり、しかし彼らも卒業すれば多くはまともな社会人となっているわけで、大人になっても引きずっている人は一部です。

同じ環境や同じ教育で育っても、全く違った性格・性質の人間になることは多くあります。兄弟でも性格は異なります。劣悪な環境で育っても最終的にほとんどはまっとうな人間になります。一卵性双生児の例でいうと、生き別れして別々の環境で育ち、大人になってから再開した例がいくつかありますが同じ性格と性質の人間に成長しています。

ヤンチャで荒れていた中学生も成長してほとんどは良識のある落ち着いた大人になります。これは教育による変化ではなく単なる反抗期を過ぎただけであり脳の成長ではないでしょうか。

しかし大人になっても身勝手な理由で他人にすぐ牙を向いて暴力を振るうような人間は、もう変わることはないでしょう。特に逮捕された28歳は反省もしてないようですし、自分から変わる意思さえもないのなら、強制的に更生させても可能性はゼロです。

身の安全を守る

暴力的な人間は公の場にいるだけで危険です。ちょっと気に食わなかったり、ちょっと注意されただけですぐにキレて威圧したり暴力を振るう。子供じゃなくていい大人がこれだと手に負えません。肉体的な力がない人間にとってはこのような人間が公の場にいること自体が恐怖でしかありません。

電車の事件は喫煙が絡んでいましたが、禁止された場所で喫煙する人は攻撃的な人が多い傾向にあります。

電車の暴行事件では周囲は見て見ぬ振りだったらしいが、このような事件では加勢や止めに入った人がナイフで刺されるパターンもあり、安易に行動はできません。ゆえに周囲を責めるわけにはいかない。もちろん注意した高校生が刺されるリスクもあるので、社会から外れた行動を取る人物に下手に注意するのは危険。

この事件は通り魔とは違い、危険を避けるのは簡単です。同じ車両に乗らないこと。通り魔は普通を装った人が起こすので予測がつかないが、この事件の人間はあからさまにおかしな行動なので前もって離れることが出来る。

ただ、一方的に暴力をふるっている状況が野放しになる世の中はあってはならないし、すぐに助けないと命の危険が及ぶ場合もある。それに電車内で禁止されているタバコを吸ってそれが誰にも注意されることなく自由勝手わがままにまかり通ることはあってはならない。

例えばスイスでは列車内に監視カメラがあり、鉄道警察がオペレーションセンターで監視しているので、禁止された車両内で喫煙していたり、車内で暴力が発生すれば、鉄道警察が何人も駆けつけてくる。

日本でも監視カメラの設置の流れとなってきているが、カメラで異常が確認された時にどのように迅速に対応されるのかが最も重要であると考えています。

最後に

社会生活というのは一人で生きているわけではありません。集団で生活しているのです。集団生活にはルールがあります。皆ルールを守って生きています。自分がルールと言わんばかりに身勝手な行動は社会を乱します。

その中でも暴力は安全を驚かす最たる脅威です。社会という厳しいルールがある現実から逃げて、街中や家庭内で弱いもの相手にイキって暴力を奮うのは卑怯者のやることです。

今の世の中はどこにでも監視カメラがありますし、人はスマホを持ち歩いているので何かあればすぐに証拠を撮影されます。逃げ切ることはできません。短絡的な暴力による犯行は、自分自身の人生を狂わせることにもなります。

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