スマホやパソコンという入力端末が増えてきた今の時代、漢字が書けない人が増えてきています。
これを「最近の人は云々・・・」と悲観するように思う人は多いかもしれません。
ですがそんな事はありません。
環境は常に変わります。昔基準で考えてはだめなんです。今は昭和・平成じゃありません。読めさえすれば書けなくても困ることはほとんどない時代へと変わってきたという証です。
時代は変わります
新しい道具が生まれると、新しい道具に慣れてそれを使いこなし、その代わりに古い道具は廃れてそれを使える人は減っていきます。
古い道具を使えた時代が常識だった人からすれば残念なことかもしれませんが、必要のない能力は衰える、それは自然な流れです。悪いことではありません。
毛筆から硬筆へ
最近の人は筆を使えないと色々言われる。
鉛筆削りの普及
最近の子供はナイフで鉛筆を綺麗に削れないと色々言われる。
しかし今考えれば毛筆も鉛筆を削るスキルも全く不要です。これらの能力がないとだめだと言う人は現在ではいません。
もはや字を書く機会は限られてきた
現在でも学生は勉強で字を書く機会は多いです。
ただ、大人になると、字を書く機会は殆どない。
仕事の書類はどんどんデジタル化。紙媒体へ書くとすればもはや役所への提出物くらい。それもいずれデジタルのみになるでしょう。手紙や年賀状文化さえももう廃れてきた。今後もデジタル化が進み、脱ハンコ、そして脱直筆サインへどんどん変わります。
漢字は読めれば不便しない時代で、字を書く機会は本当に減りました。
書けなくても読めればいい
冷静に考えて下さい。不必要な能力はいずれなくなります。それで困りません。環境に適応しているだけです。今の時代に毛筆なんて書けなくても誰も困っていません。それが今度は筆記そのものへなってしまったということなんです。
いかに自分らが育った環境が基準で考えたくても、時代で環境は確実に変化します。これは嫌でも受け止めていかないといけない現実なのです。
それについていけなくなった時。それはもう時代の環境に適応できなくなったということです。
もはや紙媒体は使う機会が殆どありません。将来的には完全に消えると思います。今現代はまだ筆記をする機会は少しありますが、そのうち筆記そのものが趣味の世界になります。
そもそも文字というのは意思を伝えるという伝達の手段です。その方法は時代で進化します。今や文字はデジタルの中で存在する物となってきたのです。
ですから、現在では漢字を書けないことよりも、むしろデジタル入力機器を自在に扱えないことのほうが問題です。環境にあった能力が身についていくことのほうが大事なんです。
漢字を書けないということは悪いことではありません。そういう人が増えていく傾向について悲観することはないです。
そのうち学校の授業や入学試験なども将来的にはすべてデジタル入力になり、学校での漢字の筆記練習などは消滅し、キーボードなどからの変換のみになると思います。
そのキーボードなどもいずれは別の入力機器に変わる時が来ます。
大切なのは時代にあったスキル。
紙媒体への筆記そのものは「趣味としての文化」という形で残ることになるでしょう。