特に大きなトラブルなく無事に終了したTOKYO2020(東京五輪)は日本人が大活躍したオリンピックでした。
なんだかんだで大きく盛り上がりました。海外選手の笑顔もたくさん見れてよかった。私は大成功だったと思います。
その大活躍で日本人選手はたくさんのメダルを獲得したわけですが、JOC(日本オリンピック委員会)は日本の金メダル27個について、限りなく目標に近い成績と評価したそうです。
これについて私はちょっと五輪への考え方がおかしいのではないかと思います。
オリンピック関係者ではない私が、オリンピックの考え方について、JOC(日本オリンピック委員会) に指摘するのは罰当たりかもしれません。しかしどうもオリンピックがメダルファーストに偏りすぎている感じで納得がいかない。
私は以前オリンピックについて、オリンピックはメダル大会ではないという記事を書きました。
前回の記事では、マスコミのメダルファーストな報道のあり方へ疑問を投げかけた記事でしたが、今回はJOC (日本オリンピック委員会) へ疑問を投げかけます。
メダル目標を作るIOCに申す
そもそもオリンピック憲章では、
1. オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、 国家間の競
出典:オリンピック憲章 第1章の6の1 国際オリンピック委員会
争ではない。
とあるように、オリンピックは国家の競争ではない。つまり国家別メダル順位(ランキング)表や国家のメダル獲得数なんてものは必要ない。
そもそもこれはマスコミとかにも言えるんですが、日本のメダル数という言葉からおかしい。国が獲得したメダル数という言葉そのものがおかしい。国家別メダル獲得数なんてありません、国家はメダルを獲得しません。
メダルは国家ではなく個人の栄誉を称えるために与えられたもので、IOC (日本オリンピック委員会) が獲得したものでも日本(国家)が獲得したものでもありません。
IOC (日本オリンピック委員会) がメダル目標数を作る となれば、オリンピックがまるでメダルを取ることに意味があるかのようになってしまう。オリンピックはメダル主義ではない。
メダルの目標を作るというのは、オリンピックの目的が、人の教育と世界平和という根本原則から外れて、オリンピックがメダルを取るため、メダル獲得数で外国の上に立つためというようなメダリンピックな思考となっている。
このメダルを選手個人が目標にするのならわかるが、JOC (日本オリンピック委員会) がメダル数の目標を設定するのはおかしな話。
オリンピックは国家間のメダル数争いではない。
IOCは各国メダルランキング表の作成が禁じられているのにIOCサイトでメダルランキング表があるなど矛盾しているし、これについてメールで問い合わせたが返答がありません。
メダル主義になってはならない
オリンピックの選手の価値はメダルで決まりません。成績の良し悪しで決まりません。
オリンピックの意味することろは、スポーツを通じて世界仲良くしましょうということ。
つまり、一生懸命競技をやって、終わったら他の国の選手と挨拶をし、健闘を讃え分かち合う。つまり結果主義ではないんです。
メダルを取った選手ばかりが讃えられるオリンピックなんておかしいです。成績悪かった選手だって一生懸命頑張ったんです。それに陸上競技の場合だと砲丸投げなど種目によっては日本記録でも入賞に及ばないような種目もあります。
JOCがメダル目標30個なんてやってしまうと、マスコミや国民も皆メダル目当てのオリンピック視線になってしまいます。
メダル目標なんて廃止にしたほうがいい
いくら金メダルをとっても、競技を終わって一緒に競り合った外国選手にまったく挨拶せずにそそくさと帰ってしまったらオリンピックに参加した意味はほとんどありません。
たとえば陸上だと、レースが終われば一位だった選手が他の国の全員の選手へ挨拶回りをしているのは外国人だと予選から日常の風景です。ゴール後倒れた選手に手を差し伸べる姿もよく見ます。
これが大事なんです。成績やメダルよりこっちが重要。
また表彰式で1位から3位までの選手が寄り合い、互いに挨拶をする。こういった姿も重要です。
もちろんメダルは選手の憧れでありますが、これは選手の勲章。JOCの勲章でも国家の勲章でもありません。
選手個人(あるいはチーム)がメダルを目標にするのはわかりますが、JOCが日本人の目標メダル数を作るのはおかしいです。オリンピックの価値がメダル数で決まるように感じるからです。
私はメダル目標なんて廃止にしてしまえばいいと思っています。