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本当にいい人は、いい人であることがストレスにはならない

真面目で優しかった人がなぜ?というような、「意外性のある事件」があるたびに言われることがあります。

「真面目な人は、いい人は、いい子は、それがストレスになる。」それが積み重なって ・・・。

そうでしょうか?

真面目であることは悪い事なの?

「真面目な人は、いい人は、それがストレスになる。」といった意見にはとても疑問を感じます。全然当てはまりません。本当に真面目な人、いい人は、そうであることがリラックスなのです。

残念なことに「真面目だね」という言葉は世間一般でもあまりいい意味で使われないこともしばしばあります。

子供の場合も同様で、真面目な子、いい子であることがまるで悪いかのようなイメージを作る人がいます。

いい人であることがストレスになるのはいい人を演じている人

真面目でいい人であることがストレスになる人は、本当の姿は真面目でいい人ではないんです。真面目でいい人を演じているのでストレスになります。これは本来の自分の姿ではないということです。

しかし、根っから真面目でいい人はそのことがストレスにはなりません。

ルールに沿った行動をしたり、人を助けたり誰かのために頑張ったリすることでリラックスできます。むしろそこから外れ不真面目になるほうがストレスになるのです。

ルールから外れた行動をすることや、困っている人を見て見ぬふりしたり、弱いものへ当たったり、影で人の悪口を言うような言動はストレスとなります。

子供でも同じです。

根っからのいい子はいい子であることはストレスになりません。リラックスになります。いい子は自分の意見をはっきり言えないなんていう人もいますがそれは違います。これはまた別です。

相手にしっかりと意見を伝えることは悪い行動ではありませんから、いい子でも普通にやる人はいます。

例えば正義感が強い生徒は掃除をサボっている生徒がいると注意します。正義感が強いならそれは悪い子ではありません。

いい子=機嫌取りと考えているならそれは大変な勘違いです。それはいい子ではなく、いい子を演じているだけです。

人間は本来の自分ではない自分を無理に演じ続けることがストレスになるのです。真面目な人が不真面目を演じればそれはストレスです。

私は人に気を使う方ですが、人に気を使うことはストレスにはなりません。人に気を使うことは私にとってのリラックス。むしろ人に気を使わせるほうがかなりのストレスとなります。

よく犯罪事件などで、真面目だった人がなぜ・・ということが議論されます。

そこで真面目な人はストレスが溜まる、だから犯罪に繋がったみたいなことが言われることがあります。しかしそれは違います。

それは真面目な人ではなく、今まで真面目な人を演じていただけです。

こういう意外性のある人が起こす事件はマスコミが好んで取り上げるため、真面目で良い子という言葉のイメージは下がっています。真面目で良い人・良い子であることがまるで犯罪者予備軍みたい目で見られることはあってはならない。

今まで通りの自分でOK

本当に根っから真面目な人・いい人・いい子はそのことがストレスになることはありませんから、マスコミがなんと言おうがそのままの自分であり続けてください。

そうあることがリラックスとなります。そうじゃないと自分ではなくなってしまいます。

マスコミが真面目な子は将来犯罪をする傾向があるかのようなドキュメンタリーを作ったり記事を書いたりして、真面目なことに対して悪いイメージを作り上げたとしても、それが生まれ持っての自分の性質であるならばそのままの自分でいて何も問題はありません。

真面目であることは悪いことではありません。誇りを持ってください。

もともと放っておいても真面目で良い子である場合、その子はそれが本来の姿なんです。だからそのままでいい。何も問題はない。

厳格すぎる親の恐怖による服従教育の影響で親の顔色伺いながら良い子を演じているのとは全く違う。

親の命令に素直に従う子=いい子という定義ではありません。それは自己防衛によるストックホルム症候群ではないでしょうか。その場合は親元から離れると変わってしまうでしょう。本来の自分ではありませんから。

真面目な人は損をする。なんて言葉もありますが。だから何でしょう?といった感じです。損得勘定ではないんです。本来根っから真面目である人はそのままであり続けることが幸せなんです。

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